街の記憶
〜東京銀行協会〜
▲東京銀行協会のメインホール正面階段
消えゆくものへの視点
近年、街の容貌が急速に変化しつつある。街の小さな家屋だけでなく、建築史に登場するような優れた建築も等しくその波に洗われている。そして、街は、フアツション雑誌に紹介されるようなオシヤレな街になっていく。しかし、この激しい変転は以前からそこに住む人々に歓迎されているのだろうか。
多くの建築家や技術者、施主は末来への希望のみしか考えていないようであるが、
街には古い過去もあってこそ、奥行のある、住み心地のよい街が成立つのではないだろうか。それはちょうど人間と同じで、もし、あなたが過去を持たない人間だとしたら、きっと何ともつまらないし、その末来も、定かなものとはいえないだろう。残すことも開発の一つの判断というべきなのではないだろうか。過去を清濁合せて、根こそぎに変革してしまう現在の街の変転は、街の時間と空間の文脈を無視する、豊かさがもたらした、無秩序と言えるだろう。なんとも皮肉なことではないか。そこで、皮相な豊かさによって失われつつある本当に豊かなものを、見つめ直してみる必要があるのではないだろうか。
かけがえのない街
建築とは、その本質からいって歴史的なものといえる。そう、決してやり直すことのできないのが歴史であり、その場所でしかありえなかった事件が歴史なのであるから。
そして、想い起こして欲しいのだが、あなたをあなた足らしめている。その記憶(歴史)は、場所・建築・都市の記憶と不可分の関係にあるはずだ。ぼくらがぼくらといえるときは、確かにその場所を、その建築の記憶を共有しているはずだ。
建築の記隠とは、つまり、ぼくらの記憶と結び付き、かけがえのない人生を確かに証明するものといえよう。それをおざなりにすることは、同時にまた、かけがえのない存在である。個性、人の命を軽んじることにつながっていくように思える。
今回はあの東京駅の娘ともいえるような建物を紹介したい。残念ながらこれもまた、失われ、今は表皮1枚の形だけの保存となってしまった。これは破壊される前の貴重な記録により構成されている。もって瞑すべきなのだろうか。残念。
▲辰野式ルネッサンスを引き継いだ白いリンテルコース(窓上の水平帯)のドレシング(窓周りの飾り)に小口積み(ヘッディングボンド)の煉瓦は、東京駅の血縁を明らかにしている。しかし、親ほど権威的ではなく、柱頭の分離派的な軽さをまとった、ハイカラ娘と言えようか。
東京駅を残すならばこちらも残すのが筋であったろう。文字通り、街には筋というものが必要で、東京駅のみが残っても街としてはあまり意味はない。こちらも残すべきであった。
▲この少し中世的香りのする尖塔のプロポーションは辰野金吾には決して、出来ない微妙な曲線で、この建築の女性的な感じを決定的なものとしている。
東京銀行協会
東京駅と同世代の1916年(大正5年)生まれのこの建物は、大正らしい、瀟洒な佇まいをもっていた。銀行界の大立者、渋沢栄一ゆかりの建物で辰野金吾の愛弟子横河民輔の事務所により設計された。当峙の流行を反映しつつも、英国近世式といわれるクラシックスタイルを基本とした、こまやかな細部意匠をもつ、フリークラシックの優品が東京の記憶から1993年に削除された。その理由は容積率の有効利用による。もっともなことである。経済合埋主義の権化ともいえる銀行の協会の建物ともなれぱ。しかし、フィレンツェを芸術の都とした銀行家の開祖メディチ家と比べると、その判断は残念な気もする。創設者渋沢栄一の志の高さを問うべくもないだろう。
▲見事な鋳鉄。母屋とはまた意匠をかえて、工芸品的に凝る日本の玄関の伝統を引き継いだ入魂の一作といえよう。
▲濃茶の煉瓦と開口部のまぐさの白、大変縦長の要石の調和がなんとも粋なコントラストである。
内部
外親のこまやかで、ピクチヤレスクな意匠は、内部でさらに充実する。様々な様式を室の性格に合せて使い分けており、英国近世式の自由さが大いに発揮されている。1階のバーは近代建築様式の先駆けとなるセセッションスタイル(分離派様式、アールヌーボー等の影響を受け、直線を主体にして、装飾を少なくした近代建築の先駆けとなった)を基本とした意匠を採用している。2階のフランス19世紀風の大会議室はまことに優美で、手仕事の最良の部分を残したディテールを持っている。改変を受けやすいカーテンのドレープ(ひだ)もオリジナルの意匠を引き継いでいるようだ。現代建築にはない、これらのディテールが大正時代のモダンな社交の華やかさを確かに伝えてくれる。何と豊かな空間であったろうか。
▲これはパーなのであるが、井戸底のような室のプロポーションは今一つの感がある。しかし、3階分の吹き抜けに、明るいステンドグラスの採光は、当時の最先端であるモダンの雰囲気をよく伝えてくれる。
▲最も正統的な様式を展開している。華麗なジョージアン風のこの談話室では、一体どんな会話が交わされたのであろうか。
▲玄関内部。照明は改変されていると考えられるが、元の意匠を活かす優れた改修の例と言えよう。使い易く残していくことも立派な創造的計画であると思う。
保存の可能性
どんなに優れた意匠をもち建築史的に価値の高いものであっても、保存運動もさして盛り上がらず、あっさりと取り壊されてしまう建物もある。やはり、多くの人々に愛されていることが第一の条件だろう。その点で意外と役所や銀行の事務所関係の建物は、利用者が大いにも関わらず、保存されないことが多いようだ。(愛されていないのかもしれない)しかし、これが博物館等の建物に転用されていると、かなり保存される可能注は高くなる。転用に耐えられるような、余裕を持った建築が保存される可能性が高いということだ。
データによる設計で必要最低限の室しか設けず、さらにその必要室の面積をぎりぎりまで追込むのは長期的に見た場合、経済的ではないということだろう。
▲メインホール。中央は渋沢栄一翁の像がある。諸室の面白さに比べやや面白みに欠けるきらいはあるが、細部にまで気を抜いていない。
▲これらの優れた作品が表皮一枚だけ残してその他は煉瓦となって廃棄、焼却されたなどとは未だに信じられない。実にもったいない話である。
保存すべきもの
保存すべきものは何か、と考えることは、優れた建築の条件を考えることにつながる。さらに、既に失われてしまった価値、技術、意匠は何かを問うことにもつながるだろう。それは同時に、明日のあるべき建築あるいは、なるであろう建築への展望を与えることにもなるはずだ。まさに、温故知新ということである。
逆説的に言えぱ、保存すべきものに明確なガイドラインが存在するような時代は建築の価値親、様式に一つの定見が存在し、確立していることを意味している。
したがって、現在、保存すべきものを議論することは建築に対しその立場を表明する、ある種の踏み絵ともいえよう。それはどのような街に住みたいのかもあらわにすることになるのだ。
この種の議論が専門家の間だけではなく、広く巷間でされるようになったならば、そのときこそ本当にアメニティー豊かな、住む人々自らが街をかたちづくる、自治的な都市が出現することになるのではないだろうか。
▲大階段。メインホールに面して設けられている。日本人には不得手な階段であるが、玄関入口の鋳鉄製のキャノピーと同じ精神が造らせた大変精巧な階段である。自らが街をかたちづくる、自治的な都市が出現することになるのではないだろうか。
細部に見られる様式
▲暖炉。セセッションという様式解体過程の直線化をよく示した作品。
▲金色に塗れれたイオニア様式の柱頭。日本では珍しく彩色された柱頭である。
▲カーテンの意匠は建築との調和を考えずに改変されてしまう例が多い中でよく健闘している。