永遠なるものへの挑戦パルテノン〜
美の規範
みなさんは既にパルテノンをご存知の事と思います。そうです、古今東西の名建築の一つに限らずノミネートされるあの傑作建築です。
あまたの名建築のうちでもその後世への影響力の大きさを勘案すれば、間違いなくパルテノンが第一でしょう。西洋建築の美の典範として紀元前から今日に至るまで存在してきたからです。
時間を超えることは、建築にとって非常に重要な課題として、現代に至るまで目標とされてきました。そしてこれからも課題としてあり続けるでしょう。もっとも、全人類の長い歴史の中で、全ての建築が時を超えることを目標にしたわけではもちろんありません。しかし、様々な時代と場所で、後世への遺産として膨大な建築が計画されてきたことは確かです。ところがその意図にも関わらず、人々に愛され、社会の中に生きた機能を持ち続け、戦乱や火事、地震に絶えて存在し続けた耐久性のある建築は、造られた建築の量に比べ極く僅かでした。したがって、現代に古代建築が存在することは一つの奇跡とすらいえるでしょう。
パルテノンの重要さは歴史を経て存在してきたという考古的尊さだけではありません。我々のの心の奥深い処のある、ある時空を超えて存在する共通の感覚に訴えるが故に、永遠に存在するものとして感じられる、いわば、永遠の美を獲得した建築、として尊いのです。
かくも、奇跡的に存在しえた、古代建築の中でもパルテノンは格別なのです。
さて、その魅力のほんの一部でもお伝えできるかどうか。
アクロポリス
アテネのアクロポリス!なんとも特異なロケーションに存在しています。平坦な土地に突如として隆起する大地は天然自然としても奇跡的な感じを抱かせますが、さらに、軍事的拠点でもあるので、台地を拡げ、崖は砦の城壁として造成されたので、急斜面となり、一層劇的な感じがします。
このようにパルテノンの大きさに合わせ、丘の大きさが決められたため、この丘全体がパルテノンのための台座のように感じられ、結果として丘全体がパルテノンとなっているのです。
西のふもとのアレオパゴス(露店の裁判所があった)から見上げたアクロポリスの丘。ピナコテカの大きな壁面と反対側にアテナニケ神殿が見える。
アクロポリスの復元模型。奥にパルテノン、手前の門となっている建物がプロピライア、その左がピナコテカ(奉納された絵を飾っておくところ)。その右の小さなほこらのような建物がアテナニケ神殿。
プロピライアを越えれば突然視界が広がり、平坦な台地となって、パルテノンが立ち上がっている。その左にはエレクテイオンという小柄で優美な神殿の複合建築が見える。
オーダー
西欧古代建築に顕著な特徴は、建築の作り方が慣例的にシステマティックに決められていることです。基本は五種類の意匠の異なった円柱(角柱ではない!)の選択です。ある柱を選んだならば、あとはその円柱の固有の規則に従って建築の大筋ができ上がってしまうというシステムがオーダーです。
建築作品といえるものをつくろうとしたらば、その規則に従わない、あるいは五種類以外の円柱の選択をすることは全く考えられない、というのがオーダーと呼ばれる、古典建築の大前提です。
さて、オーダーは大きく分けて、ギリシァ建築では逞しいドリス式、典雅なイオニア式、優美なコリント式の三種が、ローマではさらにドリス式の兄弟であるトスカナ式、コリントとイオニアを折衷した華麗なコンポジット式の二種を加えて五種があり、基本として定着しています。どれが優れているということではないのですが、歴史的に最初に登場した最も単純なドリス式を基本にして、パルテノンはつくられています。
ストアの正面を見上げる。下がドリス式。上がイオニア式。遠景写真のように上下の階の柱間が同じで二階の階高を低くしようとしたら柱の直径と柱間の関係から一階はドリス、二階はイオニアにならなければならない。
内部左がドリス式、中央の柱間を一つ飛ばしたイオニア式。右奥が商店の入り口。現在のストアより広々と気持良く買い物できそう。井戸端会議や待ち合わせもできそうな広い半野外空間。
西北の麓のあるアゴラ(市民生活の拠点となる広場)にはオーダーの列柱が並ぶストア(商店)があった。我々のよく知るストアの元祖。
美の典範としての神話
パルテノンは、中世の一時期を除いて、古代より近代に至るまで、西洋建築の美の基準としてあり続けました。建築美の典型としてのパルテノンは今に至るまで、その地位を公には疑われていないのです。これほど強固な神話を保持し続けるには、誰もが知っているそれなりの優れた所が存在しなければならないはずです。そしてその優越の精妙さにはやはり感嘆せざるを得ません。
パルテノンは最も単純なドリス式でつくられていますが、それはあくまでも一見です。再見、ちょっと様子が違う、よくよく知って驚嘆という、多くの楽しみが隠されています。
オーダーという理屈だけでなく実際に肉眼で見た時の美しさを基準に徹底的に追及された建築であるといってよいと思います。
ヘファイストス神殿の経験を活かし、さらに優美になった、パルテノン。脚部の柱間が意図的に狭められているのが分かる。この角度から見ればその効果も分かろう。同じ柱間ならば確かに、端部の柱間だけ通常より広く感じてしまい、全体の印象は散漫なものとなったであろう。また、同じ柱間にすれば、柱上部の二本の縦横の板とその間の彫刻の幅が端部だけ不均一となり、不自然となる。
神秘的な出来栄えを示したパルテノンの様々な試みを裏付ける、ヘファイストス神殿。アゴラの側にあるこの神殿は、パルテノンの実験台としての性格が強いといわれている。もちろんこれもなかなかの秀作。
▲ギリシャ彫刻最盛期の時代の最高の彫刻が惜しげも無く飾られている。美しい総大理石仕上の神殿はこの時代パルテノンしかない。
パルテノンの教訓
いかに美しくとも、忘れてならないことはパルテノンの姿とその様式は過去のものであり、現代のものではない、ということです。しかし、それはパルテノンが我々を感動させなくなったということではありません。
バッハは、ミケランジェロは、サモトラケのニケはこれからも我々を感動させ続けてくれるでしょう。そのため、いつの時代でも過去の優れた様式に憧れ、それを今に移そうとする人々がいます。
ところがパルテノンが竣工したときは、それは間違いもなく、その時代の思想を体現した最先端の建築だったはずです。したがって、人々に喜ばれ、あるいは嫉妬され、そして中傷されました。
パルテノンは、クラシックであることを目的にしたのではなく、クラシックとなることに挑んだ建築であったのです。
つまり、優れた歴史的感覚が、優れた建築の必要条件だといえるのではないでしょうか。
まさに永遠の美を獲得した建築といえるでしょう。
実は入り口からこのアプローチの西正面はパルテノンの後ろ正面である。その左側を通りすぎて、振返った東正面がお参りする正面になっている。この微妙な斜めからのアプローチも神殿にダイナミズムを与えている。
確かに真正面からの長いアプローチでは、威圧感と共に、三角屋根と柱という基本的には単純な形態なので、遠めからではアプローチへの飽きが生じてしまうだろう。梁も床も視覚補正のため、中央がやや高くなっている。またパルテノンのエンタシス(柱の膨らみ)は、ドリス式の中でも最も緩く優美な曲線になっている。
パルテノンの脇にある、このエレクテイオンはアクロポリスの最も古い神域で、様々な神話が重なり、非常に複雑な構成となった。ギリシャ神殿は基本的に単純な矩形の平面に一つの三角屋根が載る単純な形が圧倒的に多く、このような複合したものは珍しい。19世紀の新古典主義の時代、複雑な平面にギリシャ神殿風のデザインをする時に、よく参照された建築である。
有名な人像柱(カリアティッド)。これにももちろん物語があるのだが、この構成の巧みさと比例の確かさが、人が柱であっても奇異な感じを受けず、建築と彫刻の見事な融合に恐れ入ってしまう。