〜その空間の魅力〜
その空間の魅力
建築様式に限らず芸術様式の紹介は必ずと言っていいほどその名の由来から始まる。
バロックの場合は、 「BARROCO」と称する大粒の歪んだ真珠を表現するオランダ宝石商たちの言葉から由来した、というのが定説である。しかし、異説もあり、定説はない。そして、定説がないというのもいかにもバロックらしいことなのだ。歪んだ真珠説は、言語学的に有力であるという以上にバロックの視覚的魅力を簡潔に伝えているのが何よりもの美点である。真円の真珠ではなく大粒の歪んだ真珠。この魅力である。理性の持つ節度や秩序ではなく、情熱や幻想、壮麗な逸脱、祝祭の芸術がバロックであるといえよう。
建築におけるその歪んだ真珠の魅力を発祥の地であるローマの17世紀、盛期バロックに求めて、いくらかでもお伝えしたいと思う。
その魅力
「バロック」の魅力は豊穰と多様さの魅力である。オペラの魅力である。もっとも、真実が一つしかないと考えるものにあってはバロックは異端であり、堕落であるとしか思えないであろう。しかしバロックには古代以来の伝統・正統の血が疑うことなく受け継がれていることを否定できない。つまり正統と異端の魅力が一つの様式表現の中に拮抗して存在しているのだ。つまりバロックとはさまざまな矛盾を内包しながらも、それらの矛盾を超え、いわば開き直って、嘘であろうと真実であろうと信じるところを力強く訴える表現形式なのである。強力な表現を獲得するには、ルネッサンス以来、絵画・彫刻・建築などの各分野に分離独立した諸芸術を建築に再び統合する必要があった。そのために、当時の最新の科学的知識(遠近法、幾何学)で視覚をあざむいて統合(イリュージョニズム)するという手法を創案した。そして、不規則でダイナミック、情熱的で幻想的という人工的世界を創りだしたのである。
サン・ピエトロ(1656-66、1624-33)、内陣とバルダッキーノ
サン・ピエトロの内部の造形にはルネッサンス以来の多くの天才たちが関わっているがベルニーニが最終的に完成させた。
サンタンドレア・アル・クィリナーレ(1658-72)、ファサード
極めて厳格、威儀高い造形で前方へのダイナミズムは群を抜く強さの造形である。
サンタンドレア・アル・クィリナーレ(1658-72)、内陣
建築空間は単純な楕円であるが、ディティールの積み重ねによりヴォイドである空間自体が流動的ダイナミックさを獲得している
ベルニーニ(1598~1680)
彼は当時の芸術世界に君臨したバロック界の帝王、シーザーのごとくであった。イタリアにおいて現在でもこの評価が高いことは50,000リラ札(日本の5,000円札相当)にベルニーニが使われていることからも明らかだろう。権威を高めるプロパガンダとしての造形力は余人の追随を許さず、歴代の法皇たちの寵を一身に受け、ローマの美術家は好むと好まざるとを問わず彼の影響下にあった。ミケランジェロにも匹敵する天才として権力者は彼を育てようとし、また彼もその負担によく応えたのである。彼の活動は彫刻・建築・絵画・祝祭の演出・オペラの制作など多岐にわたり、いずれの分野も水準を超えている。特に、彫刻と建築は、美術史にバロックの典型を築き、最後の万能人になったのである。彼のバロックの特徴は、諸芸術の統合を最も巧みに行い、ダイナミックな空間や幻想的礼拝堂を創りだしたことにある。雄大な計画であるサン・ピエトロ広場のコロネードなどバロックの男性的な造形をする一方、彼本来の造形分野である彫刻などでは官能的な作品も多い。
▲サン・ピエトロ、広場
長径が200Mを超える最も壮大なが200Mを超える最も壮大な作品。写真はその半分である。各部分は古典的意匠であるが、そのスケールの雄大さと楕円の全体構成によって、バロックを代表する建築となった。
▲ サンタンドレア・アル・クィリナーレ(1658-72)、内陣
建築空間は単純な楕円であるが、ディティールの積み重ねによりヴォイドである空間自体が流動的ダイナミックさを獲得している
コルナーロ礼拝堂(1647-52)
彫刻・絵画・建築を一つの主題の下に最も巧みに統合したバロックの代表作。色大理石のたようと、テーマ(神の恩寵を受ける聖女)の特性によって、官能的な幻想性をもち、絵画のようなある場面の状況の再現を行っている。
ボッロミーニ(1599~1667)
ベルニーニと双璧をなすもう一人の天才がボッロミーニである。両者は全く好対照で、性格から生き方、死に方まで正反対であった。ボッロミーニは建築のみの活動に専心し、性格は偏屈で暗く、生涯独身で、古代ローマの共和制末期の政治家カトーが最後までジュリアス・シーザーに抵抗し、絶望し自殺したのに倣って、ボッロミーニも自殺した。彼は幾何学の徹底した使用によって彫刻などの助けを借りず、建築の要素のみによって神秘的な幻想空間を創りだした。当時からその建築は風変わりで、古典主義建築の規則を逸脱していると見なされ、ベルニーニから非難されている。しかし、一度捉えたならば決して逃がさない強い魅力を持つことも事実である。偏執的なまでの造形に対する執念は、石を可塑性のある材料のごとく駆使して複雑な曲線で建築を織りなし有機的歪みをもち、バロック第一級の神秘的空間を創り上げるに至った。ベルニーニを正統的バロックの代表とするならば、ボッロミーニは異端的バロックの代表であろう。現代のガウディに通じるものがある。
サン・カルロ・アッレ・クァトロ・フォンターネ(1665-67)
波打つファサードはバロックの流動感・ダイナミズムの例の代表とされている。このようなファサードの彫刻的な扱いはバロックの特徴の一つである。ベルニーニのクィリナーレと比べてれば両者の違いとバロック様式の振幅の大きさが解ろう。
サン・カルロ・アッレ・クァトロ・フォンターネ(1665-68)
ドームから平面への移行部はボッロミーニの最も幾何学的工夫が懲らされているところである。
サンティーボ・デッラ・サピエンツァ(1638-41)、ドーム
ここではサン・カルロと異なり、平面の複雑な形態がそのままドームの形態を決定している。
サンティーボ・デッラ・サピエンツァ、ファサード
ファサードもドームに負けずに風変わりなデザインで凹凸が激しい。
サンティーボ・デッラ・サピエンツァ(1642-50)、ドーム
最もファンタスティックなドームの一つである。
サンティーボ・デッラ・サピエンツァ、ランタン
放縦な想像力が異教的な造形となって天空に伸びている。
都市・世俗建築
ヴェルサイユ宮殿に代表されるように、この時代世俗建築は建築家の領域としてすでに確立している。また、中央集権的な大規模な都市改造も行われるようになってきた。ローマやパリの魅力はバロック都市の魅力であると断言してよい。その魅力を支える重要なディティールに街の辻にある噴水や彫刻などの町を巡るネットワークがあり、見応え、歩き応えのする都市に欠かすことのできない要素である。ベルナール・チェミのフォリーなどはそれらを現代に翻案したものだと言えよう。しかし、歳月の経過に耐えるであろうその質の高さには歴然たる差がある。
スペイン階段 フランチェスコ・デ・サンクティス
階段下のベルニーニ父子制作の噴水から伸びる有名な階段。この階段自体は16世紀初頭のものだが、ベルニーニの計画案の影響が大変強い
サンタンジェロへ至る橋の欄干上の彫刻
甘美にして優美に橋を飾る。ベルニーニ作。
現代における意味
価値観の崩壊あるいは多様化、科学の誕生あるいは進歩、富の増加と蓄積、ヘゲモニー(覇権)の変化、環境に対する関心の増大、といった社会一般の変化・動揺に即して、より確固たる強い表現を目指し、諸芸術の統合化、感性と五感の重視、都市的規模での美術様式の展開などを行ったのがバロック様式である。現代に通じるところが多分にあることがお分かり頂けるかと思う。過去に学ぶことも決して無駄ではないであろう。
ナポリ広場の四大河の噴水 ベルニーニ作
遊園地のセットのような大仰さと楽しさがある。
トレビの泉 N・サルヴィ
これもスペイン階段の制作された時期と同じく18世紀初頭のものだが、ベルニーニの四大河の噴水がなければこの造形は考えられなかっただろう。