ヴェネツィア
〜まちづくりのセンス〜
水の都。ヴェネツィアである。ウォーカーフロントの実例であると いうことに限らず、魅力的な街、観光地としてルネッサンス以来知られてきた。読者もその魅力に溢れた巧みな街のつくりは既にご存知であろう。ウォーターフロントの歴史的先例として頻繁に紹介され、本誌でも既に取り上げられている。しかし、ここで私がまた、ヴェネツィアを取り上げるのは既に紹介されている街の巧みなつくりなどではない。この街を一千年以上にも渡って美しく維持してきた人々のまちづくりに対するセンスなのである。
水辺と建物
水辺と建物との接点である親水空間の計画については昨今では充分な研究が積まれていることだと思う。しかし、汚れていては興ざめである。耐水性の高い塗科や仕上材もあるだろうが、水際では材が腐食しなくとも汚れることは確実で、それを避けることは難しい。
それでは発想を逆転させ、汚れても見栄えのする意匠は可能であろうか。実は、歴史的意匠というものの大半はそのような意図の下にディテールと一体となって開発されてきたのである。現代の建築家は現代的感覚を捨てることなく、汚れても風情のある意匠を考えるべきだろう。洗濯物も同様で、屋外に干してもおかしくない空間、意匠を考えだして頂きたいものである。
▲戸口が直接水面に接しているのは、世界の街の中でもヴェネツィアのみである。
欧米では洗濯物は干されていない。干すようなみっともないことはするなと言う建築家が未だにいるが、彼は干せば凍ってしまう様な地域しか行ってないのだろう。
▲近代建築の意匠は確かに洗濯物と不釣り合いの様である。洗濯物の映える近代建築は不可能なのであろうか。
緑の苔色から煉瓦の赤、モルタルの白まで色彩とテクスチャーの変化が美しい。
大通り
大通り(大運河)の修景計画はその街の性格を決定するものである。そもそも大通りに建築を建てようという者は、街の発展に少なからぬ影響を及ぼし、或いは及ぼされることを覚悟の上で建設していた。この感覚の欠けた施主からはやはり街を向上させるような建築は望めないであろう。しかし、金銭に糸目をつけなかったわけではない。現実主義者であったヴェネツィアの人々は自己の建物のための身上をつぶすことはしなかった。しかしまた、経済主義的建物では、自己の社会的信用に関わると考えていたのである。
▲ピクチャレスクそのものと言ってよい光景
▲ルネッサンス時代の最も華麗な邸宅と言われている
▲東京ベイエリアが現代のティチィアーノを産みだしたら東京も本物だ。
大通りと路地
ヴェネツィアの大通り(大運河)は嚇々たる偉容を誇るようなものではなく、ヒューマンスケールに溢れたものだが、それでもやはり大通りと路地とでは背広とジーパン程の差がある。裏通りがやはり人の生活の匂いがする普段着のホッとする親密な空間になっている。
この大通りと路地の格差は日本における差に近いようだ。迷路の様な路地は街の懐を深く見せ、飽きることがない。大通りは緩やかに曲りながら遠方へのヴィスタを確保し、路地ヘオリエンテーションを与えている。路地と大通りは交通内容も異なり、雰囲気も明暗対照的で役割が明快に分化され、大量交通が生活圏を脅かすことはない。しかし、昨今では絶対的交通量の増大から様々な害が発生してきている。
▲橋は大小合わせて400以上もある。総じて太鼓橋であるが、景観に変化を与え、ランドマークのような役割を持っている。
▲塀の上のマリア像に注目されたい。路地にはこのような飾りが多く見られ、ヒューマンな空間をつくっている。
▲パラッツオ・ペーザロ(Baldassare Lonnghena,1663-79)ヴェネツィアのバロックを代表する邸宅。
ショーウィンドウ・ショッピング
現代の街においては住居、公共施設だけでなく商業施設の良し悪しが大きなウェートを占める。そして、商業施設となれぱ広告を欠かすことができない。日本でも広告の規制が行なわれ始めたようだが、規制できるものには限りがある。広告主自らが街にあった広告を作ろうと考えてくれなけれぱ視覚的に美しい街は実現できないだろう。そもそも公共の場に晒して良い内容のものしか宣伝されていないのが本当だろう。
ヴェネツィアでは個人の店であってもカーニヴァルともなればショーウィンドーのディスプレーはお祭に相応しいものに模様替えされる。街全体がその雰囲気で包まれ、盛り上がるのである。
▲ リアルト橋の上でのショッピング
▲下着のお店のショーウィンドー
▲妖艶な!肉屋のディスプレー
▲建物のスケールに合った広告
祝祭と寺院
ヴェネツィアはまた、祝祭の街である。ピエンナーレ芸術祭、演劇フェスティヴァル、カーニヴァルなど国際的によく知られたものだけではない。多くの会議、展示会、見本市が一年中開かれ、先端文化都市といえるのだ。
しかし、一歩裏通りに紛れ込めば、昔からの住民の変らぬ生活が営まれている。世界有数の観光地だが街全体が万博会場のようになっていないため、奥行のある観光が楽しめるのである。そして、祝祭の中心にあるのがサン・マルコ寺院で、人々の心のよりどころとして今なお健在である。名所としても有名なこの寺院がなけれぱヴェネツィアは単なる観光都市として、その没落を早めたに違いない。都市の歴史を担う象徴であるサン・マルコ寺院とその広場があるからこそ先端文化の実験場としてのフェスティヴァルが開かれる意義があるのだ。
さて、日本の現在のウォーターフロント計画を思う時そのスタンスの違いに危惧の感を抱かざるを得ない。水辺の歴史を継承し、日本人のセンス、暮し方に適ったウォーターフロント計画は、はたしていかなるものなのであろうか。